Livedoorの買収について

toufu2005-03-06

Livedoorの日本放送の買収騒動を私は冷ややかに見ている。
彼は問題提起者だとか、日本の古い体質を壊す変革者だといって、一種の英雄視する向きがある。私はその意見はあまり意味のない、皮相的な見解だと思っている。確かに問題提起はしたが、彼のやっていることは、本質的に新しくことでもなんでもない。法律の抜け道を利用して私服を増やそうとしただけで、社会的な貢献を考えている様子が見えてこない。確かに尊敬に値する部分がないわけでもないが、やろうとしていることの中身がないという点では、今回のことに関して言えば、評価に値することですらないだろう。彼のやろうとしていることには驚きもなく、新しいことでもなく、容易に想像がつくことなので、今回の彼の言動は、金をもっていることで自分が偉いと錯覚している殿様にしか見えないのである。彼はいろいろのたまっているが、要は以下のようなことを言っているようだ。

・これからインターネットが主流になる。インターネットメディアが他のメディアを飲み込む。
・今の報道はマスコミ主体だが、これからはユーザ主体でオンデマンドで情報をとりだすことができる。

1番目の主張だが、これはなかなか怪しい見方である。かれの言っている他のメディアとは、テレビとか新聞とか雑誌のことであろうが、これが単にインターネットに変わるだけのこと。それらは単なる媒体であって、主役はそれに載るコンテンツなのだ。インターネットのすばらしさは、これらのコンテンツをボーダレスに取り出すことができることだ。ところがそこには大きな落とし穴がある。情報の取り出しを自分でやらなければならないのだ。しかし、大多数の人は情報の取捨選択もメディアに求めているのである。新聞、雑誌、テレビ、ラジオの各社はそれぞれのコンテンツ(商品)をもっていて、それぞれの媒体に適合しているコンテンツを提供しているのである。LiveDoorは単にそれのメディアのコンテンツをインターネットで提供しようとしているのだろうが、インターネットでテレビは見ようとは誰も思わないだろう。

2番目に関しては、ユーザのライフスタイルを変えようということなのだろう。しかし、先ほども触れたが、ユーザはコンテンツの目利きまではしたくないのである。オンデマンドは能動的、主体的な行為だが、多くの人は受動的な今のテレビのあり方に満足している。なぜなら、その方がらくだから。とにかくは主役はコンテンツなのである。LiveDoorにはメディアに載せられるようなコンテンツを作るだけのノウハウがあると思えない。