救い

toufu2007-01-21

ある宗教家は「私は人々を救うためにここに使わされた」と言った。本当にその宗教家にその資格があるのかどうかは、その宗教家の言動を見ることで解るだろう。第一、本当に悟った人はそのようなことを明言するものではないのではないか。自分自身を救うことが結局は周りの人々を救うことになるはずである。救われた人を見て、その人のようになりたいと、自分が救われたいと真に思う人は願うはずである。そして、救われた人の日々の生活態度や心のあり方を知ろうとするだろう。私は以前に「人々を助けたい、救いたい」と思ったが、自分が救われていないのにどうして人を救うことができるのかと今では思っている。まずは自分が救われることそれが先決である。その救われた体験を語って聞かせることにより人はそこから学んで救われる。体験からしか人は救われないし、体験を通してしか人にはその心は伝わらないのである。