知識のもつ危うさ

知識の多い人は人生において優位な立場に立つことができる、よって、知識をより多く持つことはよいことである。私は若いときはそう思っていた。多くの人はその意見に賛成するだろう。ある大学に行けば就職率がよいとか、ある会社は有力政治家と繋がっているから安泰だとか、ある箇所が受験にはよく取りあがられるとか。。。知っていれば、その知識に基づいて行動して無駄な努力をせずにも済む。そして行動の成果を手に入れることができるだろう。個人的な問題から国家の問題まで。知識=情報は重要な位置を占める。情報を制するものは世界を制するともいわれる。よって諜報活動は国家においても非常に活発に行われるわけだ。経済戦争、受験戦争、本当の戦争も情報を制するものが勝ち残れる。しかしながら、知識というものが多くあれば本当にいいものなのだろうか?そこに落とし穴がある。情報が多すぎて逆に正しく判断できないことも多々ある。そう、知識は単に手段であり、コントロールするのは人間である。何よりも大切なのは情報ではなく、情報を正しく使いこなすことなのである。ある場面ではこの知識をこのように使うことで効果を最大限に発揮する。しかし、他のある場面ではこの知識を使うと効果がないところか、大やけどをする可能性がある、とか。知識を正しく使うことが何よりも重要なことなのだ。それにはどうしたらよいか。これは知識を常に使ってみるという実践、経験しかあるまい。知識を頭に溜めておくだけでは、実際のところどう使ってみたらよいのか解らない。失敗を恐れず、仕入れた知識はどんどん使ってみることだ。そうすることで知識の使用法を体で覚えることができる。ここで知識を使ってみるとは言葉を変えると本番前の練習をすることである。いきなりその知識を大事な場面に使ってはいけない。生兵法は怪我の元という諺があるが、ちょっとかじった知識をいきなり大事な場面(本番)で使う人がいる。これは危険きわまりない。