自殺を思うときの心理

「木を見て森を見ず」という言葉がある。些事にとらわれて全体が見えなくなるということはよくあることだ。そして人生における大抵の過ちはそういうときに起きる。私たちは何かに関わるときにまずはそのことにとらわれている。そのことをやり始めた時からそのことにはまってしまうのだ。これはプライベート、仕事に関係なくあらゆる場面でそういうことが起きる。なぜかというと、私たちは環境に流される傾向があるからなのだ。自分と環境は別であると常に考えることができれば自分との関連事項とよい距離間を保つことができるだろう。しかし、よい距離間が保てずに、たいていは環境の中に、または環境の一部として自分を見ることになる。そうなったら近くの木しかみえなくなるのだ。例として自殺する子供たちの心理があげられる。学校の中でいじめによる自殺が後を絶たない。自殺をする子供たちの心理を見ると、学校の環境の中でその世界に生きる自分しか見ることができずに、学校の生活の自分が全てであると見てしまう。まさに環境と自分をいっしょくたにして見ている。いじめを受ける環境が特別なのであって、自分はまともなのだ、と自分で自分を認めることができれば絶望感からは開放されるのである。自分と環境は別である。環境の方が悪いことが多い、と思うことができるかどうかが鍵だろう。いじめられている自分はダメなのだと思い、それにとらわれる、そして自殺を思いいたる。自分がダメである、そんなことは絶対にない。全ての人の存在は尊いのだ。なぜなら、全ての存在は必要だからそこにあるのである。