考えてみれば

toufu2008-01-09

新年になって初めて日記を書く。日記を書くことは客観的に自分を見ることになる実に有意義なことだと思うのだが、このところずっとおなざりになってしまった。かの有名なローマ皇帝の言葉(誰だったのか失念)に「人は自分が見たいものしか見えていない」というようなものがある。この言葉を始めて聴いたときにはいたく感心・共感したものだ。私は関心や興味のあるものに熱中してしまう性格なのでこの言葉は自分によく当てはまると思ったのだ。このような自分の見たいものしか見えないという近視眼的な考え方は偏狭な人格を形成してしまうと思う。この世界は実に広く様々な経験に溢れているのでそれを素通りするのはもったいないものだ。私はIT業界の派遣社員でいろいろな現場を経験してきた。あまり器用ではないし、要領も悪い方なので人には言えないようなさまざまな苦労があった。人一倍いやな思いもたくさんしてきていると感じる。自分は父に似ているが、父は苦手だと思う環境を避けて自分のいやなことはあえてしてこなかったようだ。かつて私はそれを逃げだと単純に考えた。そして父を心の中で軽蔑したものだ。環境から逃げ回っていたら人間としての成長はないだろうと。人生は苦しみの連続だと思う。自分の不甲斐なさをいやというほど知って死を意識することもしばしばだ。そんなときには自分に次のよう言葉を贈るようにしている。この人生は自分の欠点、膿を出し尽くす経験の場である。そして一つ一つその欠点を克服していくことで人間は成長する。人間的に成長できればこの人生は成功だった胸をはることができると。