想定外は考えない?

福島第一原発問題は一向に収束しない。当然のことだ。今原子炉内で何がおきているか正確に把握している人間はこの地球上にいないのだから、収束できる道理がない。今日NHKで興味深い番組がやっていた。福島原発事故アメリカの有識者はどう見ているかという番組だった。GEが設計したMARK?という原発は1976年には設計上の欠陥が見つかり、あるGEの社員が自社や電力会社に警告を発していたというのだ。その欠陥とは、外部電源が失われた場合で高温状態になった場合に、格納容器の下部にあるドーナツ状の箇所が壊れるということだった。このMARK?こそ福島第一原発で採用している原発であった。また、アメリカの原子力規制委員会は今回の福島原発の水素爆発の事象を、実験でしっかりと再現していたのだ。それも80年代に。これらの警告はGE幹部、アメリカでは電力会社によってもみ消されていった。そしてこういった情報も日本では、あまり深刻には伝えられなかった。また、日本製品は壊れないから、日本は大丈夫という理論のすり替えが起きた。しかし、信頼性(日本のものづくりに対する評価)と安全性はイコールではないと、元日本の原発技術者の方がおしゃっていた。同感だ。日本の原発は事故が起きないという前提が出来上がっていた。それは、起きる可能性が天文学的に低いということは考えなくても良いという思想が根底にあったからだ。その考えが今回の原発事故を起こした真の原因だと思う。「原発事故は起きるもの」という考えが必要だったのだ。