いじめ問題から、昔の思い出

いじめ問題を今日はテレビで観た。アメリカの女子高校生がいじめを苦に自殺したという内容であった。
いじめはどの世界でもあるのだが、より陰湿で問題が深刻化してしまうのが子供のいじめである。
子供の時は視野が狭く、自分のみじかな世界だけが全てだと思いがちだ。
そして、学生時代だけ続くいじめが、そのときは永遠に続くものだと感じてしまうのだろう。
いじめ問題の本質は、周りの大人たちの問題であり、社会の問題なのだとつくづく感じた。
当然、いじめる生徒達の心理状態に問題があることは確かであるが、彼らはあまりにも未成熟であり
自分の欲求をコントロールすることがなかなか難しい。周りの大人たちが手を差し伸べなければ
何ごとも成し得ないほどに、精神的に不安定なのである。
よって学校でいじめが起きている場合、学校側の責任が極めて重大だ。
自分達が悪くないと言っている学校は自ら責任を放棄している。
事の重大さを認識していない。

昔私は中学校の先生からいじめられた。
剣道の時間に道着をちゃんと着用していなかったいう理由でバスケットボールを後頭部に
したたかぶつけられたのである。何度も。クラスメートの前で。
子供の頃に大人にされた虐待は一生忘れることはできない。

赤いスポーツカーで登校し、サッカー部の顧問だった、ちょび髭をはやしたリーゼント頭の先生だった。
体操出身の保険体育の先生。N先生は今頃は還暦を迎えた頃だろうか。