子供にとって何が一番大切か?

なぜ苦労しなければいけないのか?苦労するぐらいならやらない方がまし、と人は苦労というものを避けて生きようとする。仕事、結婚、育児、勉強と人生は苦労、努力を必要とするもので満ちているといえよう。これらの苦労はストレスという苦しみのもとだ。だったら避けて通ろう。と安易に考えて結婚しない人が増えたり、育児放棄したり、仕事をせずにニートになったりする。そこにには、努力や苦労するのは人生の損、できれば損をせずに得したい、という考えが根底にあるようだ。損得感情の顕著の表れだが、果たして苦労することが損ということに本当になるのだろうか?私たちは先人の歩いた道に疑問を投げかけ、人生や環境を変革し続けきた。しかし、変えてよいものと変えてはいけなかったものがあるということを考えずに、とにかく古臭いものを捨てようという進歩主義の名のもと、様々な事柄を変革し続けてきたきらいがある。温故知新というすばらしい諺がある。古きを知って、新しきを知る。すなわち、古い時代の考えでもすばらしいものは、決して色あせることなく現代に通じ、現代の問題にしっかりと対応しうる。真理、真実は昔であろうと今であろうと、永遠に変わらないものである。そこで古臭い考えとして葬り去られてきたことの一つに、女性は家庭に入って育児をすべし、家庭を守るべし、という考えがあったと思う。女性の社会進出、社会参加である。それ自体決して悪いことではないような気がする。そして、育児は苦労が多い。しかしそれを放棄して子供の心は豊かに育つだろうか?仕事第一に考え、保育園に預ける親が多いが果たしてそんなことでよいのか?経済問題を筆頭に上げる人が多いが、幼い子供にとって親のいない家庭がいかに殺伐としているものか、親はしっかりと考えているだろうか?私は、女性が家庭で家を守るという伝統は、調和のとれた社会ほど残っているような気がする。その考えは非常に時代遅れだといわれそうだが。子供の心はやはり母親の充分な愛情の元、健全に育つのである。それ以上のものはないし、他に替えることはできない。親はこうも言う、子供のために自分を犠牲にしたくないと。その自己中心な親の考えは、子供の心に影を落とし、将来跳ね返ってくるだろう。子供にとっては親が全てなのである。誰が彼らを保護し、育てるのか?親しかいるわけがない。