幸福の条件

僕は先生に尋ねた。
「私はどうしたら幸福になれるのでしょうか?」
先生はこう答えられた。
「もし、君が今自分を不幸だと思うのなら、その原因は何なのだろうか。」
僕は淡々と話した。
「原因は分らないのです。なぜだか分らないけど不幸です。いつも不安だし、いらいらします。世の中は常に矛盾だらけだし、自分勝手な人が多いし、未来に希望をもてないのです。原因といえば環境が悪いのかもしれないですね。」
先生はゆっくりと丁寧に話された。
「今の人生を不幸だと思うことは実はとても大事なことだ。世の中の多くの人は不幸だと気づかずに苦しみにあえいでそれが普通だと思っている。今の人生の不幸は君自身が創り出しているといえよう。正しい基準が分らなくなってその基準から外れた分自分で不幸を創り出しているのだ。君が今不幸だと思っている自分は君の心だろう。君の心は無限なのだ。この社会にも法律があるだろう。その法律によって社会の秩序が保たれ多くの人が安心して幸せに暮らせるのだ。心の世界も同じように法があるのだ。思うことが正しくなければ、正しくない分、不幸になる。体だって暴飲暴食を重ね、無理をすれば、病気になる。体にとっては常に適度な食事と運動が必要なはずだ。心の場合もそれと一緒だ。心も正しい基準を守らなければ病気になってしまう。」
「その基準とは何なのですか?」
「基準はこの大自然だ。自然は何も語らずにそのあり方によって私たちに人生を教えている。自然は調和されているだろ。調和されているから連綿のその営みが続けられているのだ。全てが補い合い、助け合い、協力しあって生きているではないか。太陽の熱光によって万物が生かされる。水、空気によって生命が保たれているように、この自然には生命が生きていくための条件が揃っている。自然がその生存を保障しているからだ。大自然の法、他を生かすということだ。」
「自分の人生にその大自然の法をどう活かせばいいのでしょうか?」
「他を自分のように思いやりなさい。人に純粋に愛を施しなさい。助け合って、補いあって生きていきなさい。常に隣人の幸福を思うように生きていくことだ。自分のためではなく、社会や人々の調和、幸福のために生きていくことだ。」
「自分が不幸なのに、そんなことは考えられません。」
「その『自分』がといっている『自分』が全ての不幸の原因だ。あたなもこの大自然から生まれたのではないか?自然があたなの親ではないのか?親の教えには従うのが道理ではないだろうか?人間はたった一人では生きていけないし、また一人で生きていくように生まれたものでもない。社会が不幸であったらあなたは幸福でいられるだろうか?経済活動も確かに社会に生きていくうえでは大切であろうが、それによって争いや犯罪が増えれば不幸ではないか?全体の幸福がなければあなたの幸福はありえないのだ。それにはその『自分』という気持ちもってはいけない。自分の欲望、自己保身のために生きれば生きるほど君は不幸になる。そういった考えは自分中心で他の幸福をかえりみない考えだからだ。人の幸福を自分の幸福と思える心。常に社会に愛を実践してその見返りを求めないことが大事だ。必死にそれを行えば必ずに幸せになれる。」
「できるかどうか分りませんがやってみます。」
「今はまだ分らないだろう。しかし私が今言ったことをよく理解して世の中をよくよく観察すれば分ってくるはずだ。」
「わかりました。ありがとうございました。」