世界はリアリストに牛耳られる

日本だけのみらず、この世界は現実主義者(リアリスト)によって牛耳られていて、理想主義者は肩身を狭い思いをしているように思われる。仏教的に言えば、この世の中は、悪や不道徳が蔓延る末法世界とでも言うべきなのだ。この状況を象徴しているようなことが最近起こった。ある一政府による、憲法違反立法の成立と民主主義の崩壊である。現実主義は決して悪というわけでもないように考えられているが、私はそうは思わない。特に伝統的現実主義は最悪である。この考え方は理想を現実という低レベルの状態に落とし込もうとする考え方なのだ。理性ある我々人間は現実を理想に引き上げることを念頭に置くべきなのだ。人間性悪説であるこの現実主義がまん延すると世の中には腐敗と不正が当たり前の世界となる。今回の政府の判断は正に全世界の状況(特にアメリカ)を俯瞰して決めたとのことだろうが、大半の国民の意見を無視して、立憲主義を捨ててしまった。これでは、政治家の資格を捨ててしまったと言ってよいだろう。立憲主義は確かに理想だが、これは理想とはいっても法治国家においては必要最低限の要件だろう。アメリカに向いた政治は確かに潰されないで済むかもしれない。でもこれでは、魂を売った政治屋ではないか。自民党議員は全てそうである。非常に悲しいことだ。

日米合同委員会と憲法の関係

日本がアメリカの属国であることは明らかである。私は沖縄に4年間滞在していてそれをつくづく感じた。沖縄では米軍関係者の犯罪・事件が日常茶飯事のように起こっているが、彼らは日米地位協定によって守られているのだ。米軍関係者が公務中に沖縄の住民を明らかな過失による交通事故で死なせってしまっても、何ら罪に問われない。このような治外法権がまかり通っている現状を見て、日本はまだアメリカ(軍)の占領状態でないと言えるのだろうか。そして、このような不条理な現状を許していしまっている不平等条約日米地位協定)を変えようとしない日本のトップ官僚たち。かつて、民主党の鳩山総理がこの問題に踏み込もうとして、これらの輩に激しく抵抗されたことは想像に難くない。敵はアメリカではなく身内にあったわけである。この官僚たちと在日のアメリカ軍関係者からなる日米合同委員会なるものが、戦後ずっとこの状況を守ってきているという。彼らが運用面も含めてこの条約を日本の憲法の適用範囲外としているのだ。そのために憲法違反の米軍が日本に居座り続けている現状があるのである。この国は誰のためにあるのだろう。安倍さんのためでもアメリカのためでもない。国民一人一人のためにあるのだろう。改めて思う次第である。

憲法解釈は法的安定性を欠く

安倍首相は憲法改正をすることなく憲法解釈を変えることで、違憲性の高い集団的自衛権の行使のできる法律を成立させてしまった。かつて自民党推薦の憲法学者が「集団的自衛権の行使は違憲である」と述べたことで、多くの国民がこの法案の合憲性に疑うを持つようになった。そうして、国会前や全国各地での反対デモに発展していった。このときの憲法学者の発言を自民党幹部の高村氏が苦虫をつぶしたような表情で「学者は字面に拘泥する」と言い放った。学者が字面に拘泥するのは当たり前だと思う。私も字面に拘泥することがいいと思っていない。そして学者の意見が常に正しいとは思わない。人間は間違いを犯すものだからだ。しかし、今回の安保法案ついて確実に言えることは、他国に行って戦争することを可能にしたということだ。アメリカの要望があれば、どこへでも行って米軍の武力行使の協力を行うことができるのである。これが平和憲法の下で成立しようがないではないか。強引で抑制的ではない安倍さんは、今までの憲法解釈を180度展開して、これを可能にしてしまったのだ。憲法解釈をコロコロ変えることは法的安定性を著しく損なう。ということで、安倍政権が退陣して他の政権に移ったときに、また憲法解釈を変えることでこの法案が失効される可能性が大いにあるということだ。

違憲立国をめざす自民政府

日本はどこに向かおうとしているのだろうか?
アメリカにどこまでも追従して軍事国家をめざそうとしているのだろうか?
嘘付官房長官と、お坊ちゃま総理。自分の目指す戦争のできる国のためなら、
歴代の総理が一応守ってきた憲法を、数の力で潰そうとしているのだ。
この総理は、戦後レジーム脱却とかいいながら、ポツダム宣言も読んだことがなく
たぶん、憲法の条文もまともに理解していない。法治国家であるはずの日本の
最高権力者がこんな人では、まぁ、とんでもない状況です。

そして、テレビを見て思うこと。
日テレとフジの報道番組は自民党のこの暴挙に対して全くコメントせず。

朝日の報道ステーションとTBSのNEW23はこのことを連日扱って、問題視していた。

こんな腐敗政治を見逃すマスコミは存在意義を全く失っていると思う。

贈る言葉、思うことの大切さ

心の力を信じることです。思うことはとても大事なのです。正しく思わないことは自分を不幸にするだけなのです。
幸せになりたいのであれば、正しく思いましょう。
さて、正しく思うとは。どういうことなのでしょう。
まずは、悪いことを思わないことなのです。愚痴、妬み、恨み、そしり、怒り、欲望。
これらは、心を毒す悪しき思いなのです。
だから、これらの思いからはとにかく離れましょう。
ある人に会ったら、不愉快になるなぁと思ったら、とにかくその人とは会わないほうがいいです。
無理に自分を繕っても直ぐにメッキは剥がれるのですから。
成人君子になることはないんです。
苦手を克服することは大事ですが、自分のできる範囲で行いましょう。
とにかく悪いことは思わないことが大事なんですから。
我慢は禁物です。ダメだなこの人と思ったら、見ないようにする、存在を感じないようにするしかないです。
いつかは、大丈夫になるかもしれません。
それから良いことを思いましょう。今、自分にできる最良なことはなんだろう。
とにかく最良な時間を過ごそう。この時間を大切にしよう。この時間は今しかないのだ。
最善を常につくそうと。なにもかも大事にしようとすることですね。

よいことを思えば、誰でも幸せになれるのです。

実に簡単なことではないでしょうか。

いじめ問題から、昔の思い出

いじめ問題を今日はテレビで観た。アメリカの女子高校生がいじめを苦に自殺したという内容であった。
いじめはどの世界でもあるのだが、より陰湿で問題が深刻化してしまうのが子供のいじめである。
子供の時は視野が狭く、自分のみじかな世界だけが全てだと思いがちだ。
そして、学生時代だけ続くいじめが、そのときは永遠に続くものだと感じてしまうのだろう。
いじめ問題の本質は、周りの大人たちの問題であり、社会の問題なのだとつくづく感じた。
当然、いじめる生徒達の心理状態に問題があることは確かであるが、彼らはあまりにも未成熟であり
自分の欲求をコントロールすることがなかなか難しい。周りの大人たちが手を差し伸べなければ
何ごとも成し得ないほどに、精神的に不安定なのである。
よって学校でいじめが起きている場合、学校側の責任が極めて重大だ。
自分達が悪くないと言っている学校は自ら責任を放棄している。
事の重大さを認識していない。

昔私は中学校の先生からいじめられた。
剣道の時間に道着をちゃんと着用していなかったいう理由でバスケットボールを後頭部に
したたかぶつけられたのである。何度も。クラスメートの前で。
子供の頃に大人にされた虐待は一生忘れることはできない。

赤いスポーツカーで登校し、サッカー部の顧問だった、ちょび髭をはやしたリーゼント頭の先生だった。
体操出身の保険体育の先生。N先生は今頃は還暦を迎えた頃だろうか。

チェックリスト

仕事のチェックリスト集

メールはチェックしていますか?
作業指示はちゃんと理解しいますか?
行動は総合的に判断していますか?
ソースはリスト出力してチェックしていますか?
客観的にモノは見えているかな?そのため工夫はしているか?
○セルフレビューの仕方
・プログラムの動作は理解している?
・プログラム仕様は理解している?
フレームワークは理解できている?
・言語仕様は理解できている?
・項目は抜けていないか?
・処理は抜けていない?
・条件抜けていない?
・条件パス誤っていない?
・初期化漏れがない?
・項目誤りがない?
・勘違いしていない?
・余計なことしていない?
・処理順番は正しい?
・スコープを限定化できている?
・チェック範囲は明確になっている?